Soyブログ
2022年4月 3日 日曜日
岐阜、最古の劇場 まさご座
4/3日、営業します
さて、相変わらずと言わずともの
150人越えですね…泣
蔓延防止後のテンションも、皆様に
お聴きすると、やった!と言うより
さてさてどうしたものか…と言う感じですもんね…
流石、SOYのお客様の皆様です
昨日は仕事終わりに、ちょいと岐阜駅まで野暮用で、言って来ましたが
15分ぐらいで返って来ましたが
岐阜駅回りも、ある意味閑散としてましたね…
逆に豊田市駅回りのほうが、飲み歩く人もチラチラ、
蔓延防止法が切れているので、飲み歩くなとは言いませんが、
お酒に飲まれている人もチラホラ
しゃーないなぁと言う気持ちと
ちょいと羨ましい気持ちと
もう、なんだかなぁ戻れないよね…なんてなんだかセンチメンタルな気持ちで
帰路についたんです
中々、皆様をお迎えする立場上、
濃厚接触、または皆様の信頼を損なう場所には居ないんですが
好きなバー(藤が丘)にあるんですが
バーのマスターがご高齢なんで
コロナ禍が終わったら行きたいんですが
万が一…閉店していたら…なんて考えてしまいます
そんな感じですね
久しぶりの岐阜県回りに行ったら
あら? コロナ前に
奥様(後藤さん)と、社会勉強に来た
まさご座さんと言う劇場の近くでした
岐阜のまさご座さん、これでわかる人は
岐阜駅通が、ちょいとマニアックな人です
ネタ切れ感も半端無いので
岐阜駅回りの劇場、まさご座さんのお話でも 笑
まず、まさご座さんとは
芝居小屋時代 編集
太平洋戦争終戦後の1947年(昭和22年)、玉木喜平が芝居小屋として開館させた[1]。歌謡ショー・浪曲・漫才・宝塚歌劇・剣劇などの興行を行い、三波春夫、村田英雄、コント55号、間寛平、宝塚のトップスターなどが来館している[1]。1960年(昭和35年)の映画館名簿には本館も真砂座として掲載されており、木造2階建て、定員500人、邦画・洋画を上映していた[2]。映画の隆盛やテレビの普及とともに客足が低迷し、女剣劇の一座が胸元をはだけたお色気路線を打ち出すようになると、その頃がストリップ劇場への転換期だった
ハイ、ウキペディアさんから拝借ですが
歴史的な芝居小屋?です
昭和感、半端無いですよ!
性格なのか、好奇心の塊なのか?
コロナ禍前に、社会勉強に奥様と見に行って…すげ〜ってなりました 笑
いやいや、このデジタル情報化の中で
戦後間も無い状況下に建った、劇場で
これから絶対に増える事の無い
カルチャー(文化)が保存されています
ウキペディアの最後にあった
ストリップ劇場なんです まさご座さん
そうなんですよね、業として
踊りを披露しているんですよね…
今なら、AVとか、ご商売の方々もいらっしゃる?訳ですが…
何故? 踊り子さんの言う職業を選んだのか? お客様はどんな人達か?
とりあえず未体験ゾーンには、興味深々でしたので、
ひつこいですが、コロナ禍前に
余興を見に行ったことがあります
皆様のイメージと多分180°違います
めっちゃ踊りの練習をしてますし
芸術性も個人的には高いです
昼の12:00から開演で、なんと
入れ替え制無しですから、
大体、踊り子さんが4人で、20分演目ですから
ゆるりと見れます、ちなみに女性は1000円です
お客様皆様も、個性的な人から
サラリーマンまで…
中には、酸素チューブをしたご高齢の方もいらしてみて、推しの踊り子さんの
演目に合わせて、手拍子をして楽しんでました、多分80過ぎの方だと思います
以外と女性1人のお客様もチラホラ
正しく、知る人ぞしる
アンダーカルチャー?
アングラな世界です
日本の法律の関係で、新しく増設される事は有りませんから、無くなる文化?施設です、いつかは
そんな桜の散り際のような、文化が
ちょいと好きな僕です
ダンサー(踊り子)さんも、皆様
踊りが好きなのか、よっぽど
そのあたりの 普通演劇よりも
心技体がしっかりしてます
行って見た人で無と、わからない
不思議なプロ意識です
そんなまさご座さんが、70年か?
80年記念らしく、
戦後間も無くからの、文化遺産?
(個人的な意見です)が、続いてくれると
いいなぁなんて…
ある種のアンダーカルチャーは
NPO的な、受け皿? リアルで集まれるところとして、必要な人には必要な場所ですから…
まぁ、ハードルは高い?かもしれませんが、ご興味ある方は
岐阜、まさご座で検索して
右隅に、入門講座として漫画化されてますから、是非!
もちろん、僕は立場上、今はいけないので、コロナが落ち着いたら行こうかなぁ
素晴らしい演をする、踊り子さんが
来るらしく! それまでに落ち着け
(100%リバウンド方向に有りますから)
ちょいと無理そうですが…笑
バーや演劇場は、残って欲しい
文化ですね。
さて、相変わらずと言わずともの
150人越えですね…泣
蔓延防止後のテンションも、皆様に
お聴きすると、やった!と言うより
さてさてどうしたものか…と言う感じですもんね…
流石、SOYのお客様の皆様です
昨日は仕事終わりに、ちょいと岐阜駅まで野暮用で、言って来ましたが
15分ぐらいで返って来ましたが
岐阜駅回りも、ある意味閑散としてましたね…
逆に豊田市駅回りのほうが、飲み歩く人もチラチラ、
蔓延防止法が切れているので、飲み歩くなとは言いませんが、
お酒に飲まれている人もチラホラ
しゃーないなぁと言う気持ちと
ちょいと羨ましい気持ちと
もう、なんだかなぁ戻れないよね…なんてなんだかセンチメンタルな気持ちで
帰路についたんです
中々、皆様をお迎えする立場上、
濃厚接触、または皆様の信頼を損なう場所には居ないんですが
好きなバー(藤が丘)にあるんですが
バーのマスターがご高齢なんで
コロナ禍が終わったら行きたいんですが
万が一…閉店していたら…なんて考えてしまいます
そんな感じですね
久しぶりの岐阜県回りに行ったら
あら? コロナ前に
奥様(後藤さん)と、社会勉強に来た
まさご座さんと言う劇場の近くでした
岐阜のまさご座さん、これでわかる人は
岐阜駅通が、ちょいとマニアックな人です
ネタ切れ感も半端無いので
岐阜駅回りの劇場、まさご座さんのお話でも 笑
まず、まさご座さんとは
芝居小屋時代 編集
太平洋戦争終戦後の1947年(昭和22年)、玉木喜平が芝居小屋として開館させた[1]。歌謡ショー・浪曲・漫才・宝塚歌劇・剣劇などの興行を行い、三波春夫、村田英雄、コント55号、間寛平、宝塚のトップスターなどが来館している[1]。1960年(昭和35年)の映画館名簿には本館も真砂座として掲載されており、木造2階建て、定員500人、邦画・洋画を上映していた[2]。映画の隆盛やテレビの普及とともに客足が低迷し、女剣劇の一座が胸元をはだけたお色気路線を打ち出すようになると、その頃がストリップ劇場への転換期だった
ハイ、ウキペディアさんから拝借ですが
歴史的な芝居小屋?です
昭和感、半端無いですよ!
性格なのか、好奇心の塊なのか?
コロナ禍前に、社会勉強に奥様と見に行って…すげ〜ってなりました 笑
いやいや、このデジタル情報化の中で
戦後間も無い状況下に建った、劇場で
これから絶対に増える事の無い
カルチャー(文化)が保存されています
ウキペディアの最後にあった
ストリップ劇場なんです まさご座さん
そうなんですよね、業として
踊りを披露しているんですよね…
今なら、AVとか、ご商売の方々もいらっしゃる?訳ですが…
何故? 踊り子さんの言う職業を選んだのか? お客様はどんな人達か?
とりあえず未体験ゾーンには、興味深々でしたので、
ひつこいですが、コロナ禍前に
余興を見に行ったことがあります
皆様のイメージと多分180°違います
めっちゃ踊りの練習をしてますし
芸術性も個人的には高いです
昼の12:00から開演で、なんと
入れ替え制無しですから、
大体、踊り子さんが4人で、20分演目ですから
ゆるりと見れます、ちなみに女性は1000円です
お客様皆様も、個性的な人から
サラリーマンまで…
中には、酸素チューブをしたご高齢の方もいらしてみて、推しの踊り子さんの
演目に合わせて、手拍子をして楽しんでました、多分80過ぎの方だと思います
以外と女性1人のお客様もチラホラ
正しく、知る人ぞしる
アンダーカルチャー?
アングラな世界です
日本の法律の関係で、新しく増設される事は有りませんから、無くなる文化?施設です、いつかは
そんな桜の散り際のような、文化が
ちょいと好きな僕です
ダンサー(踊り子)さんも、皆様
踊りが好きなのか、よっぽど
そのあたりの 普通演劇よりも
心技体がしっかりしてます
行って見た人で無と、わからない
不思議なプロ意識です
そんなまさご座さんが、70年か?
80年記念らしく、
戦後間も無くからの、文化遺産?
(個人的な意見です)が、続いてくれると
いいなぁなんて…
ある種のアンダーカルチャーは
NPO的な、受け皿? リアルで集まれるところとして、必要な人には必要な場所ですから…
まぁ、ハードルは高い?かもしれませんが、ご興味ある方は
岐阜、まさご座で検索して
右隅に、入門講座として漫画化されてますから、是非!
もちろん、僕は立場上、今はいけないので、コロナが落ち着いたら行こうかなぁ
素晴らしい演をする、踊り子さんが
来るらしく! それまでに落ち着け
(100%リバウンド方向に有りますから)
ちょいと無理そうですが…笑
バーや演劇場は、残って欲しい
文化ですね。
投稿者 Soy hair&relaxation